会長挨拶

会長就任のごあいさつ

会長 高橋哲也

公益社団法人 広島県理学療法士会

会長  甲田 宗嗣

 この度、令和元年6月15日に公益社団法人広島県理学療法士会の第9代会長に就任しました甲田宗嗣と申します。1971年にわずか19人により発足した当会は、令和元年6月現在、約3100人の会員により構成され、2021年には50周年をむかえます。これまでの会員一人ひとりのご尽力と歴代会長をはじめとする役員の志とともに歩んできた当会の歴史を振り返るとき、このバトンをしっかりと次の世代に渡さねばと身の引き締まる思いです。

 ここ数年、当会は地域包括ケアシステムや地域医療構想など時代の変化に対応するため、様々な取り組みを行ってきました。これらの取り組みをさらに充実させるため、以下の3点を推進したいと考えています。

1)生涯学習の推進:理学療法士免許取得者数は加速度的に増え続け、近年、質の低下が指摘されることもあります。この課題を解決するため、公益社団法人日本理学療法士協会の生涯学習システムに従い、会員が生涯学習を継続できるよう啓発、支援します。

2)専門性を活かした地域・社会活動への参加:理学療法士の専門性は多様化しています。会員一人ひとりの専門性を地域・社会活動に活かせるよう取り組みます。

3)職場環境への配慮:理学療法士が充実して仕事できるよう、また、仕事と生活の調和を保てるよう、職場環境への配慮を推進します。そのために、管理業務に従事する理学療法士の連携を推進し、職場環境の課題を共有します。

 これらを推進するためには当会役員の活動に加え、会員の皆さまのご理解とご協力が不可欠です。将来も理学療法士一人ひとりが充実して働くことができるように、そして、利用者の皆さまが自分らしく歩んでいけるように、皆さまと一緒に取り組んでいきたいと思います。

会長としての最後のご挨拶

沖田 一彦 2015/6/21更新

このコーナーを更新しないまま,はや1年半近くがたちました。その間に任期の終了が近づき,6月21日(日)に開催される総会をもって,私は当会の会長を退任することになりました。3期6年余りという決して長くはない期間でしたが,当会の執行部および会員の皆様,また当会行事に参加していただいた県民の皆様に,この場をお借りして深くお礼申しあげます。

 

このコーナーの口絵には,いつも絵画を掲載していましたが,今回は自分で取った写真を載せています。この写真は,私が生まれた四国の西南部にある田舎の光景です。2025年の超高齢化社会の到来は,いまや医療・介護・福祉専門職だけでなく,一般の市民の皆様もマスコミ等を通じて認識されていることと思います。写真の町では高齢化率が約37%と全国平均を大きく超えています(平成22 年現在)。写真の地区だけでいえば,50%をとうに超えています。このことは,当県でも同じ事情だと思います。

 

写真は,昨年夏に,当会会員への地域包括ケアシステムの説明・啓蒙のスライドの冒頭に使用させていただきました。もはや,すべての医療・介護・福祉専門職にとって,この問題への関わり・介入を避けて通ることはできません。当然ですが当会も,この問題に総力を挙げて関わっていくつもりです。

 

これついては,次期執行部も十分に認識しておりますので,引き続き皆様のご理解とご協力を切にお願いして,私の会長としての最後のご挨拶とさせていただきます。

 

これまで,本当にありがとうございました。

 

日本語の曖昧さから言葉と医療の問題を考える−久しぶりの更新と新年のご挨拶に代えて−

沖田 一彦 2014/1/5更新

2014年になりました。皆さん,新年あけましておめでとうございます。またかなり長い間,このコーナーを更新していなかった怠慢をお詫び致します。

気を取り直して,口絵はベルギー生まれの画家,ポール・デルヴォー(Paul Delvaux,1897‐1994)の『学者の学校』(School of researchers, 1958)です。デルヴォーは美術界で「さまよえる孤独者」と呼ばれ,作風を特定の美術運動(印象派など)の中に当てはめることができない画家だったということです。また,静寂さの中に幻想的な世界が広がるその作風から「幻想画家」とも呼ばれているそうです。『学者の学校』では,心に病をもつ女性を,向かって左側の医師が脳を手に取って医学的に,また右側の臨床心理学者がカウンセリングをして心理学的に分析している場面が描かれています。しかしこの絵には,真実は医学でも心理学でも解明しきれない中央奥の暗闇の部分に隠されているというメッセージが込められています1)。前回このコーナーでは,医療におけるコミュニケーションの問題について触れました。今回は,医療のコミュニケーションに使われる言葉の問題を前回とは別の視点,日本語の曖昧(あいまい)さという視点から考えたいと思います。

日本語の曖昧さは諸外国からしばしば批判されますが,その理由はさまざまな次元で存在するように感じます。まずは単語の次元。どの国でも類似した意味を表す単語は複数ありますが,日本語には特にそれが豊富にあるとされます。これについて個人的に強く印象に残っているのは,2011年3月の東日本大震災によって福島の原発事故が起こったとき,当時の官房長官・枝野幸男氏が行った会見放送です。福島原発について氏は,原子炉で重大な問題が発生したことはまだ確認されていないとしながら,何らかの「爆発的事象があった」と述べていました。この放送を私は,まだ高校生だった次女とTVのニュースで見ていました。彼女は心配そうに,「私は頭が悪いけんよう分からんけど,要するに原子炉が爆発したんやろ? いまの映像,どうみても爆発しとるのに,なんで爆発的事象があったとか言うん? “事象”ってどういうこと? で,日本は大丈夫なん?」と聞いてきました。答えに窮(きゅう)しました。

別の次元。日本語(ハングル語もそのようですが)では,多くの場合に主語が省略されます。上の「答えに窮した」という表現にも「私は」が抜けています。その理由については,さまざまな側面から合理的な説明がされていますが1),理屈などなくても日本人同士なら主語なしで十分通じ合えます。たとえば彼氏彼女に愛を告白するとき,「愛しているよ」と言えば,私たち日本人にとって,省略してもその主語は「私」でしかありません。しかしこれは,特に欧米諸国では通用しないようです(洋画を見ていると,せっぱつまった場面や質問のされ方によっては,英語でも主語が脱落していることがあるように感じます。私の聞き取り能力が低いだけかもしれないので,英語に強い人は教えて下さい)。

さらに別の次元。高校の英語の授業で,「直接話法」と「間接話法」の違いに苦しんだ方は多いのではないでしょうか。私もその一人でした。当時はそれを,単に「文法上の仕組み」として理解しようとしていたため,構文内の主語の置き換えや動詞の時制の一致に引っかかり,試験ではいつもどこかを間違えていた記憶があります。最近では機会が減りましたが,1980年代に私が出会ったご高齢の患者さんたちには,明治生まれや大正生まれの方が大勢おられました。彼/彼女らは,ある出来事を話すのに「直接話法」を使うことが多かったように思います。たとえば,「昨日は腹が立った。隣のベッドの人に,『あんた何言いよる? そんなこと言よったら,部屋の皆から嫌われるで!』って言われてなぁ…」といった感じです(二重括弧内は,話した本人に近い口調で話される)。

これは小説家の作風にも見て取れます。昭和の作家だと,たとえば池波正太郎の歴史小説2)は「直接話法」のオンパレードです。西洋でも古い作家(イギリスのサマセット・モーム3)など)はこれを多用していました。現代の作家は意識して使い分けているようですが,「間接話法」はもともと,起こった出来事を話者が物事を一歩引いて客観的に捉え,「直接話法」よりも少ない単語量で効率よく相手に伝えるために使われるようになったと聞きます。ちなみに,音楽の歌詞に「間接話法」が初めて使われたのは,ビートルズの‘She loves you’4)なのは往年のロックファンには有名な話し: ♪ She said she loved you,and you know that can’t be bad 〜(彼女,まだお前のこと好きじゃ言よったけど,それって悪いことじゃなかろぅ)。

悪い癖で,また前置きが長くなりました。今回もっとも強調したかった次元,それは「人称性」です。人称性とは,簡単に言えば,話しや文章の主語を何にするかということです。それには大まかに3つの種類があります。「私は」なら一人称的(first personal),「あなたは」なら二人称的(second personal),「それは」なら三人称的(third personal)です。そのうえで,医学・医療関係の論文における人称性に注意してください。‘It is that…’(…である)とか,‘It seems that…’(…と思われる)という表現がいかに多いか。講演や授業でも事情は同じです。「○○病では,△△が主症状となり,予後は□□なことが多い」といった感じで,三人称を主語とした表現が多いことが分かるはずです。

アメリカの専門誌では,ずいぶん前にこの問題が論議されたと聞きます。たとえば,米国の理学療法協会誌『Physical Therapy』に長く目を通されている方ならお気付きと思いますが,‘It seems that…’が,‘I / We considered that…’と表現されることが多くなっています。いつ何で読んだか忘れましたが,この背景にはアメリカの権威ある学術協会が,「たとえ科学論文であっても,読者に分かりやすくするために文章は短く簡潔に,かつ執筆者の責任を明らかにするため主語は一人称/二人称で」と指摘したことが発端であったように記憶しています。修辞的(rhetorical)で難解な表現の多かった英国の協会誌『Physiotherapy』もこの傾向にあります。

この問題について書いていて,無性に『白い巨塔』が観たくなりDVDを借りに行きました。原作は作家・山崎豊子が,実際にあった医学部の権力抗争を描いた社会派長編小説5)ですが,1978年にTVドラマ化され,毎週楽しみに観ていたのを覚えています。内容を知っている方も多いと思いますが,権力志向で次期教授の席を狙う外科医・財前五郎と,患者を第一に考え日々研究に打ち込む内科医・里見脩二との確執と友情がテーマとなっています。今回借りたDVDはドラマのリメイク版6)で,俳優の唐沢寿明が財前を,江口洋介が里見を演じて2003〜2004年にフジテレビ系列で放映されたものです。ドラマにおいて財前は自分の技術を過信し,業績を重視するあまり治療をおろそかにして担当患者を死なせてしまいます。家族から訴えられますが,裁判では里見が患者家族側の証言台に立ったことで,最終的に有罪の判決を受けてしまいます。その結果,里見は大学を追われ,財前は心労から肺癌になってしまうのです。

私が注目したのは最終回です。財前の癌は,発見されたときすでに手遅れの段階でした。周囲は事実を隠し続けますが,怪しむ財前は,医師として実はもっとも信頼している里見に最後の診断を依頼します。それまでの二人は,医療やその倫理について三人称で語ることが多いのですが(「医学は」,「医師は」,「患者は…」),このときの二人はほぼ一人称と二人称だけで会話します。里見が「俺はお前を助けたいんだ。それが出来ないのなら,せめてお前の不安を受け止めたいんだ!」と混乱すれば,財前は「俺は助からんよ…。それより,死を前にした患者を前にそんなに取り乱して,お前らしくないぞ」と返します。結構感動します。このドラマの見どころの一つは,二人が医師としてではなく,互いに良き友人としての関係を取り戻したとき,その語りに三人称が用いられることがないという点にあると思います。

表現における人称性の違いは,単に文法上の違いだけではありません「医学は」,「医療は」,「リハビリテーションは」,「理学療法は」などの三人称を主語にした表現は,聞いている者に「よそよそしさ」というか「他人事のような感じ」を持たせてしまいます。先にも書いたように,それには話者の存在を感じにくく,責任の所在の不明確さが伴うからでしょう。それでも,「三人称を用いなければ科学的な表現にならない」という考えには根強いものがあります。しかし総合診療医の尾崎7)が指摘するように,もし治療方針について説明を行った患者に,「では,これが先生のお母さんの,あるいは先生ご自身の症状だったらどうしますか?」と聞かれたら,皆さんならどう答えるでしょうか? そのとき患者から共感をもって受け入れられる答えは,相手に理解できる単語を使うことはもちろんのこと,直接話法を使って一人称で話すことでしかないと,当たり前かつ今さらのことながら,私は思います。

  1. Butor M(内山 憲一・訳):ポール・デルヴォーの絵の中の物語.朝日出版社,2011
  2. 月本 洋:日本人の脳に主語はいらない.講談社選書メチエ,2008
  3. 池波正太郎:鬼平犯科帳(新装版).文春文庫,2000(初版:文藝春秋社,1968)
  4. Maugham SW(中野好夫・訳):人間の絆 (上・下巻) 新潮文庫,2007(原書初版:Of human bondage. George H Doran Company , New York, 1915)
  5. Lennon‐McCartneyによる楽曲で,1963年にリリースされたBeatlesの4枚目のオリジナル・シングル
  6. 山崎豊子:白い巨塔(第1〜5巻).新潮文庫,2002(初版:新潮社,1965)
  7. 西谷 弘,他(演出):白い巨塔(DVD 8).ポニーキャニオン,2004
  8. 尾藤誠司:「医師アタマ」との付き合い方;患者と医者はわかりあえるか.中公新書ラクレ,2010

『二つの間』を埋めるために−医療におけるコミュニケーションと人間関係の今後−

沖田 一彦 2010/8/23更新

抽象画の先駆者として知られるカンディンスキー(Vassily Kandinsky,1866‐1944)に,『二つの間』という作品があります(口絵)。鮮やかな赤の背景に非対照的な二つの物体(?)が,まるで引か れるように接近している構図になっています。これが何を意味しているのか,芸術的センスのない私にはわかりません。彼が子どものとき離婚した両親の関係な のか,生まれ故郷であるロシアと移住したドイツ/フランスとの関係なのか,それとも自分と別れた最初の妻との関係なのか。いずれにせよ,絵を見る限りで は,『二つの間』はなかなか埋まらないように感じられます。

先日,当会の研修会で広島市に出張しました。JR広島駅から路線バスに乗車すると,「原爆の日」ということもあったのでしょう,結 構混んでいたため,最後部の座席にやっと座れました。次の停留所で,私と同年代とおぼしき男性が乗り込み隣に坐りました。男性は腕時計を気にする私の方を チラチラ見ていたのですが,しばらくすると意を決したように話しかけてきました(以下,男性=お)。

お:「おとーさん,どっから来たん? 急いどん?」
私:「三原です。今日は"やっさ祭り"の初日で,三原駅周辺の混雑がひどくて,予定の新幹線に乗り遅れてしまいまして」
お:「ほー,ほんで今からどこ行くん? 仕事? わしゃぁ,今から飲み会なんよ」
私:「僕は仕事でH町に行っとんですけど,その後はやっぱし飲み会ですわ」
お:「わしゃね,明日,親戚が栄転でS市に引っ越すんよ。ほんで,大型の免許を持っとるわしが荷物の運送に駆り出されたんよ。今日はその前祝いで飲ませてくれるゆうんやけど,一晩飲ませてくれたくらいじゃ割に合わんでぇ!」
私:「そりゃしんどいですね。S市ゆうたら九州の西の端なんで,車だとここから6時間以上かかるでしょ?」
お:「ほーなんよ! でも親戚やと断れんけぇね。月曜は仕事早出なんやけどのぉ…」

そうこうしているうちに,バスは市の中心部に到着し,男性が先に降りることになりました。

お:「ありがと。わしもおとーさんもビールの飲みすぎで腹がメタボみたいやけぇ(確かに!),お互い体には気をつけようや」
私:「はいはい(笑)。おとうさんも明日の運転長いんやから,今日はあんまし飲み過ぎんように」

男性は,前方の出口でこちらに振り返り,軽く会釈して手を挙げながら降りていきました。「いくら親戚だからといって,大型の運転免 許をっているというだけで,なんで俺が遠くまで引っ張り出されないといけないのか?」という思いを,誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません。

実は私は,見知らぬ人とのこういう偶発的な会話が結構好きです。子どもの頃から,知らない人に話しかける/話しかけられることにあ まり抵抗がありませんでした。だからという訳ではないのですが,今も車にカーナビをつけていません。家族からは「原始人」と非難されますが,道に迷ったら 車を止めて歩いている人に聞くか,コンビニに入って店員に聞けば何とかなるからです(私はこれを「クチナビ」と呼んでいます)。

1970年代前半まで,乗り物に乗り合わせた他人同士が会話するのはごく普通の光景でした。列車で祖母の家に遊びに行く私に,「ぼ く,どこに行きよん? 一人?」,「そりぁ偉いねぇ。このミカンお食べや」といった具合です。そこから,学校がどうだの家庭がどうだのという話が,笑いを交えながら展開していき ます。隣のボックス席で話を聞いていたおばちゃんが身を乗り出し,「あんた,話しばっかりしよるけど,次の次で降りないかんよ。忘れたらいかんよ!」など と言ってくれることもありました。しかし,1980年代に入ると,このような状況は急速に変化していきました。出張や旅行の乗り物の中で,たとえ席が隣り 合わせになっても,高齢者を除けば,だれも会話をしなくなっていきました。

印象的な出来事があります。30歳を過ぎた頃だったでしょうか,私は出張で新幹線に乗り東京に向かっていました。途中の駅で大学生 とおぼしき女性が乗車してきたのですが,私の坐っている指定席を自分の席だと言います。切符を見せてもらうと,座席番号は合っているのですが,列車番号が 違っています。乗る列車を間違えたのでしょう。車掌が来たので,事情を説明すると,「ちょうど隣の席が空いているので,ここに変更しましょう」と言い,彼 女は私の隣に座ることになりました。

頭の中が1970年代で止まっていた私は,何の下心もなく彼女に話しかけました。「新幹線は本数が多いので間違えちゃいますよね。 でも,席が空いててよかったですね。どこまで行かれるんですか?」と。しかし彼女は,「大阪です」と言ったきり,続く問いかけには「YES/NO」で答え るのみでした。顔には,「見ず知らずのオヤジのくせに,話しかけないでよ…」という困惑の表情がありありと見て取れたので,私は話を切り上げ,仕事の書類 に目を通し始めました。列車が大阪に着くと,彼女は無言のまま降りて行きました。

この件以来,私は乗り物の中で,必要に迫られた場合を除き,知らない人とは会話をしなくなりました。そのことを同僚に愚痴ると,「お前なぁ,こんなご時世に不用意に若い女性に話しかけていたら,車掌を呼ばれて交通警察に突きだされるぞ!」と忠告されました。

「医療におけるコミュニケーション」の重要性が唱えられて久しいのはご存知のとおりです。理学療法士に限らず,医師,看護師,薬剤 師など,すべての医療専門職にとって,それは「基本中の基本」と認識されています。この能力を学内教育の段階で強化しようとする試みも盛んです。「医療面 接技法」と銘打って,さまざまな教育方法が実施されています。私も教員としてそれを試みています。授業の中で,「開かれた質問(open ended question)」,「視線を合わせる(eye contact)」,「うなずきによる共感(sympathy)」など,基本的な項目の解説と演習が行なわれます。また,模擬患者(simulated patient)を利用したシミュレーション実習も普及しつつあります。

最近の医学教育では,このようなコミュニケーション能力が,臨床実習(ポリクリ)に出る前に「OSCE(客観的臨床技能試験)」の 一部として測定されています。理学療法教育にもこのシステムを導入しようとする動きがあります。しかし,そのようにして獲得した"技能"が,はたして真の コミュニケーションと言えるのでしょうか。

ヨーロッパを旅していると,列車やバスの中での,1970年代までの日本のコミュニケーションのあり方が,どこの国でもいまだに 残っていることに気が付きます。「あなたはどこから来たの?」と聞かれるのは,私が東洋人の外見をしているからで,これは当たり前のことでしょう。しかし 彼らは,同邦の他人同士でも,性別や年代の差なくコミュニケーションが実に良好に取れています。このことが日本人である私にとって新鮮な驚きなのです。

たとえば,イタリアの芸術の街フィレンツェで,列車の隣に座っていた女子大生が絵画のデッサンをしていたことがありました。それを 前の席から覗いていた高齢の男性が,「なかなかうまいな。どこの大学?」と聞くと,そこから身を乗り出して二人の美術談義が始まります。また,イギリス中 部の湖水地方でローカル線に乗っていたときには,コンパートメント(個室座席)に乗り合わせた家族が,お互いのバカンス(夏季休暇)の過ごし方を,互いを 羨望しつつ楽しそうに話しています。

こんなことが子どもの頃から当たり前の国民が医療者になった場合のコミュニケーションと,今の私たちの国のコミュニケーションとで は,それを教育・評価する意味がまったく違うのではないか,最近そう思えてなりません。相手の話に「身を乗り出して」聞く気持ちもないのに,"技能"とし てのeye contactだのsympathyだのを植えつけてどうするというのでしょうか…。逆に,相手を知りたい気持ちや興味が本当にあったら,そのような"技 能"は多少稚拙であっても問題にはならないし,細かな教育をしなくても,理念と原則さえちゃんと伝えておけば,能力は後から現場で自然に身についていくの ではないでしょうか。

医療におけるコミュニケーションは,その国の人間関係のあり方と深くかかわっています。だから,上記のような問題がいますぐに解決 できるものでないことはよく分かっています。ただ,勉強をしていく中で,最近確信していることが二つあります。一つは,いくら医療専門職が熱心に患者に説 明し同意を促しても(informed consent),医療者側が思っているほど患者側は納得してはいないということです1)。もう一つは,医療をサービス業の一環とみなし,対象者を「患者 様,利用者様」と呼んでみても,当事者側はそれを望んではいないということです2)。そのようなことで患者と医療者の関係は改善するとは,私には思えません。

ではどうすればいいのか? 私は,医師である尾藤氏3)の意見に強く共感します。氏は,いま医療が変われるためには,市民が「人生の上で目指すもの,大事にして優先させたいこと」を 医療者と共有する必要がある。また,医療者は「日常生活は主観的なものと測れないもので成り立っており,それを無視した医療を行うことは良くない」ことを 理解する必要があるといいます。そして,この意味において両者が,「ともに考える医療」を目指す必要があると。そこで求められるのは,本当の意味でのコ ミュニケーションであり人間関係のはずです。

本年(2010年)12月4‐5日に,当会による「第15回広島県理学療法士学会」が三原市において開催されます(担当:尾三支 部,学会長:沖田一彦〔県立広島大学〕,準備委員長:石田勝〔興生総合病院〕)。学会テーマは「クライアントのニードに応える理学療法の展開−これからも 社会から必要とされつづけるために−」とし,上記の問題に関連した特別講演や市民公開講座を予定しています。詳細は第15回広島県理学療法士学会こちらをクリック願います。ご参照のうえ,会員のみならず,他職種や一般市民の皆様にもふるってご参加いただき,この問題について考えることで,『二つの間』を埋める契機にしていただければと思っています。

  1. 山内一信,他:医療消費者と医師とのコミュニケーション;意識調査からみた患者満足度に関する分析.医薬産業政策研究所リサーチペーパーシリーズ 29:1-149,2005
  2. 徳田安春,他:「〜さま」と「〜さん」;患者呼称の使い方についての患者医師双方への調査研究.プライマリ・ケア 31:20-25,2008
  3. 尾藤誠司:「医師アタマ」との付き合い方;患者と医者はわかりあえるか.中公新書ラクレ 344,201

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」?所信表明にかえて?

沖田 一彦 2009/6/1更新

平成21年4月の定期総会において、梶村政司・前会長の後を引き継ぎ、(社)広島県理学療法士会の会長に就任しました。振り返ると、前会長の3期6年にお いて当会運営の柱となったのは"改革"でした。それは、支部制を含む組織の改革、学会運営方針の改革からはじまり、昨年度の公益法人への移行および政治連 盟の発足に関する決定と準備まで、前会長のパワーあふれる牽引力によって実現したところが大きかったことは間違いありません。その判断力と行動力に、前執 行部の一員として、また新しい会長として、心から尊敬と感謝の念を表します。
むろん、前執行部が精力的に進めた改革は継続しなければなりません。まず本年度においては、公益法人申請や市民公開講座形式による理学療法週間事業、また 当会設立40周年記念行事など、前執行部がレールを敷いてくれた大きな事業を成功させる必要があります。よって課題は、次の年度以降に新執行部で何ができ るかだと考えています。
とはいえ、前会長のような牽引力や行動力をどこまで発揮できるか、正直言って私にはあまり自信がありません。ただ、肥大化する組織と医療・介護制度の急速 な変化を目の当たりにして、最近強く感じていることがあります。それは、表題に書いた「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」と いう問いです。これは、印象派の画家ゴーギャン(Paul Gauguin,1848‐1903)の作品(口絵)のタイトルになっている言葉です。

私は、その問いがもっとも象徴的に当てはまるのは、介護保険下で実施されているリハビリにおける理学療法(士)のアイデンティティーや効果に関する問題だ と思っています。おりしも、昨年および本年の定期総会において、会員からこの問題についての分析や対応の要望が執行部に出されました。現状は国や自治体の 制度ありき、先行者の経験ありきで、「私の担当している利用者さんの問題解決には役に立たない」から「PTとして行き詰っている」というものでした。
介護保険下でのリハビリに限らず、このような大きな問題が生じたとき、我々の業界の対応にはある一定の傾向が認められます。それは、振り子がどちらかに 振れたら、上は「バスに乗り遅れるな」的対策の必要性を打ち出し、現場はその枠組みに従って右往左往するというものです。その場合、情報の流れは常にトッ プダウン的で、現場からの情報や意見が上に届くころには、すでに振り子は逆の方向に振れようとしていることも少なくありません。
介護保険下でのリハビリに限らず、このような大きな問題が生じたとき、私たちは一度立ち止り、先のゴーギャンの言葉の意味をよく考えてみる必要があるよ うに思います。「我々はどこから来たのか」はPTのこれまでの歴史をみればわかるはすです。時代の変遷とともに何がなぜどのように変わったのか。また、 「我々は何者か」はあくまで対象者によって決定されます。ここを踏み外したら、我々はもはや公益団体とはいえません。科学はそれをよりよく説明するための ツールにすぎないという認識も重要です。そして、それらによって「我々はどこへ行くのか」は自然と決まるはずです。
新執行部には、この考えに基づいた具体的な活動計画を立ててもらいたいと思っています。求められるのは感受性と創造性です。しかし、これらは執行部だけ でなく参加する会員すべてに要求されることを憶えておいて欲しいのです。振り子の振れる方向を決めるのは、執行部と会員との相互作用の力だと思うからです。
これからも会員・賛助会員の皆様のご理解とご協力を切にお願い申し上げます。

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